Der verlassene Ort
ベルリン・テンペルホーフ、かつて飛行場だった場所は、今ツアーで開放されている。英語とドイツ語のツアーがあって誰でも中に入ることができる。
戦後の米ソ対立で、閉鎖されたベルリンに西側が物資を届けたベルリン空輸は、このテンペルホーフで行われた。都会のど真ん中に作られた空港だから滑走路が短くて、けっこうスリリングな離着陸だったらしい。
ぱっと見るとどこが短いのか全然わからない
今、この地平線の奥の広場は芝生の公園になっていて、夏になると自前のコンロを持ってバーベキューをするドイツ人がひしめく。一回だけ行ったけど、若者ってスーパーで買ったソースの味しかしない肉ばっか焼くんだ。おとなしくソーセージを焼いてりゃ最高のバーベキューなのに、ドイツ人っていろいろそういうところが不器用だよなと思ったことがある。
ナチによって建てられたこの空港が、戦後と、現在においてもベルリンのランドマークであるのはけっこう皮肉なことだと思うけど、戦時中はほとんど軍用機しか乗り入れていなかったというこの空港、ヒトラーなんて使いたかっただろうなと思う。建てといて使えないのはちょっとなんか気の毒だよね。人間としてだけど。
今滑走路だった部分の一部には、難民キャンプのテナントとして使われている。テナントを出てすぐ見える、帝国趣味的にデカイ建物と、あほみたいに広い空を見て、そこに住む人たちは何を考えてるんだろうな、と思ったりする。
ベルリンは嫌いな街なんだけど、同時にめちゃくちゃエモーショナルで、だから誰かにとってはものすごい好きな街なんだろうな。私はベルリンに選ばれなかっただけなんだろうと思う。
ベルリンにいた時に何度か一緒に出かけたケチでどうしようもないドイツ人は、廃墟が好きだった。廃墟っていうちゃんとしたドイツ語はないらしくて、そういった場所のことを彼はDer verlassene Ortと呼んでいた。さびしい、忘れ去られた、荒涼とした場所ってわけで、なんていうか、廃墟というよりも、むしろ廃墟を好きな人が廃墟に馳せる気持ちみたいなものまで一まとめになっている言葉だなあと感じたけど、そういうことは当時の私はうまいドイツ語にできなかったな。
寂しさとか悲しさとか愛おしさとかそういうものをもっと言葉にしたかったんだけど、できなくて、ドイツ語がものすごく憎らしかった。でも考えてみたら日本語だってそんなうまくないわけで、ドイツ語でそんな自分の気持ちがすべて説明できるなんていう考えそのものが自分の言葉への過剰な期待だったんだよね。
言葉は不確実ですべてを捉えられないからこそ確実なものがあるのにね。