しべりこぶた

おしゃべりこぶたのしべの日記

罪の自白とリガの琥珀と

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神輿を担ぐということは、純度100パーセントで人に見られる行為であり、自分の姿も含めての、パフォーマンスであると思っている。

だから私は指輪をはめたのだ。耳にはピンクシルバーの輪っかのピアスで、それに合うように、お気に入りの指輪をはめた。
かつて、シェアメイトであったユッカと、それはそれは美しい、冬のバルト3国を旅したとき、私はその指輪を見つけた。というより、その指輪に見つけられた。

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バルト3国は、総じて琥珀の生産国である。木の中で時間をかけ、ねっとりと育ったこの宝石は、派手さはないけれど、重みと温かみがある。寒さの厳しい乾いた土地で、そのような粘度の高いものが愛されるのは、なんとなくわかるような気がする。

ラトビアの首都リガの広場を、やっつけで覚えたこんにちはとありがとうを繰り返しながら練り歩いていた私たちだったが、その中で私は、年老いた女性が琥珀のアクセサリーを売っているところに立ち寄った。

多くのものを見てきたであろう目。年を重ねて、濁った白目のなかに、ぽつんと緑と灰色をまぜたような瞳が輝いている。きっとねっとりと年月を過ごしてきたのだろう。もっと長く生きたら、きっと瞳と白目の境目はなくなって、どろどろと溶けてゆくのではないだろうか…。

などと思いながら、白目と黒目のはっきり分かれた(分かれすぎているとも言えるのだ)目でもって、私はひとつ、指輪を買った。その老婆は「Real Amber」と、こちらの目を見て言った。ほんとうに?リアリー?なんて聞くことは、野暮であると思って、というより、この老婆がリアルというのなら、この老婆と、私の間では、きっとリアルなのだ、と、運命論信望者のようなことを考えながらそっとお金を差し出した。

そういった指輪なのだ。なのに私は、その指輪を排水溝に落とした。
その日は体がむくんでいたのだ。神輿を担ぎ、パフォーマンスをしている私たちには、休憩ごとにお菓子やら、ビールやらが振舞われるので、それをずるずると飲み続けていたのが原因だ。赤い靴のように、この指から指輪が抜けなくなったらどうしよう…。という気持ちに駆られて、私は中指からその琥珀の指輪を引き抜き、ゆるゆると小指にはめ直した。今考えれば、抜けなくなってしまったほうがずっと良かったのに。後悔とはいつでも、こういった一瞬の、意識していない瞬間に生まれる、思いがけない子供のようなものである。

その美しい琥珀の指輪は、私の中指にねっとりとくっついていたのに、それを私が引き剥がしてしまったものだから、小指との関係を新たに構築することとなってしまった。だけど、それはきっと、リアルでなかったのだ。ふとガードレールに腰掛けた瞬間、粘度、私との結びつきを失ったその指輪は、ころがれころがれ、と言わんばかりに、ぽつんと落ちていった。そして排水溝に吸い込まれた。ぽた、と申し訳程度の、命を失う音が聞こえた。

私は酒に酔っていて、残念というよりむしろ、ああ、また私のリアルなものがなくなってしまったと悲しい気持ちになった。ひとつ私と世界を結びつけるものがなくなったような、そういった、迷子になった子供のような気持ちになって、でも騒ぐこともできないので、ただただ排水溝を見つめていた。

見つめることによって、私はその指輪とお別れをする代わりに、それとの新しい関係を作りたいと思った。ねっとりと、見つめることによって、その琥珀を売ってきた老婆の目を思い出すことによって、私が年をとって、だんだんと白目が濁ってくることによって…。
もはや、手にリアルなものとして持てない、私の指がどれだけむくんでも、もう食い込むこともない琥珀の指輪を、私が見つめることで、眼球の裏側に、毛細血管に、脳に、つなぎとめようとした。忘れないように。

きっと琥珀の指輪は、あの排水溝の中で、水と交わってねっとりと消えていく。私はそうなる運命の、未来の亡きものを思い浮かべ、目の奥に化石を作る。忘れないという戒めを通して、それをリアルなものにするために。

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