しべりこぶた

おしゃべりこぶたのしべの日記

乳首だよ全員集合

タンブラーに書きなぐったものの再掲

 

おっぱい体操をしています。おっぱいが欲しい、高望みはしない、平均でよい。
誰のためにというわけでなく、確実に自分のためであります。これは最早プライドの問題、つまり自尊心とも言えます。自尊心は普通心の中から溢れるものですから、だったらその心の外皮は?いや、おっぱいでしょう、ということで、おっぱいが欲しいんですね。
まあ欲しい欲しいと騒ぐのは子どもだけで十分であり、大人、とりわけレイディーとして生きているのなら欲しいものはそれを手に入れるべく努力をするのが世の常です。だからまあ、例えば洋服が欲しいならお金を稼ぐし、美味しいものが食べたいんならホットペッパーグルメにかじりつく、とかそんな具合です。
ただ当方、おっぱいを求めている、つまり自尊心であります。誰がために胸はある、己です。だからすなわち、おっぱいの獲得はアイデンティティの獲得。上手いこと言おうとすれば、アイデン乳ィといった感じですね。
アイデンティティ、自己同一性とは自分が自分であると認識できること。アイデン乳ィとはしたがって、あらゆる肉が(脂肪)、あぁ私は乳付近に帰属しているのねという感覚を持つということです。
つまり私の肉体にあるよく分からない「あなたどこから来たの…?」という贅肉達は、きっとディアスポラ、離散の民でございます。
つまり肉達は自分達の本来の住処、生を受けた場所、死に行く場所を探している。その場所、つまりはイェルサレム的なものが、理想としてはおっぱいなのです。理想郷…それは現実にないからこそ理想郷と呼べるのかもしれませんが、ideal という言葉はideaに繋がるわけなので、発想を転換させれば、肉達が終の住処におっぱいを選択してくれる可能性というのは大いにあるのでは、と考えることができます。
まあだからこそ、タイトルのような乳首に全員集合!という感じでおっぱい体操をしています。離散の民、迫害された民、あなたたちは選民です、おっぱいになるために選ばれた選民…。目覚めてください、そして帰属してください…と願いながら、ショベルカーのごとく手であらゆる箇所をガシガシとつかみまわしひねり、今日もおっぱい難民は闘っています。