飯に生き、愛に生き
最近、昼飯をよく食べるようになりました。というのも、夜アホみたいに食うので昼は遠慮してローカロ生活を肝に銘じていたんですが、昼食べたくもないものを虚無咀嚼で食うより、好きなものを「あ、うま……うまいな…うま…」と脳で思いながら食べた方がカロリーが消費できるのではと考えたわけです。
まあそんなことなしに肥えたなーいやしかたないなーしかたないけど…。でも世の中で一番の楽しみ酒と食べ物だし、肥えたとてビールはやめられないし…デブになったってビールの味方です。まあ、ビールの方から願い下げといったところでしょうが…。
でも、出かけてなんか昼食べて動いてまた夜食べるの、めっちゃ「「「一般人」」」って感じして気持ちがいいのは確かです。しばらくがんばろうかな、いや、このわがままボディから脱することを頑張れよという話だが…。ていうか太るならまずおっぱい増えろよな…わたしの体ちゃんは何考えて栄養蓄えてんだよ…氷河期じゃないんだから…。
日記が難しいのだ
日記を書くことが難しいのだ。
ゴールデンウィーク終わります。終わります…。また生活が始まります。始まります…。
毎日おもしろいことがある、楽しいことがある、笑えて仕方ないことなどあるが、日記に綴らないのはなんでなのか、綴れないのか、綴らないのか。
日記って響きにひよってんのか。
中二の頃、しょこたんよろしく日記を鬼更新していた頃が懐かしい。探偵学園Qにね、ハマっていたのです…。しかもその中のカズマに…。可愛かったんだよカズマ。一重で。パンクファッションで。
カジュマカジュマ!と毎週騒ぎ立て、カズマが女装なんてした日には(山田涼介(当時子犬と天使のハーフだった)演じるリュウを助けるためにしていた)興奮で20件くらい日記を書いていたあの日の騒がしさとたくましさとひたむきさを持って日記を書く能力は、もはや、存在しない。存在しないのだ…。
Der verlassene Ort
ベルリン・テンペルホーフ、かつて飛行場だった場所は、今ツアーで開放されている。英語とドイツ語のツアーがあって誰でも中に入ることができる。
戦後の米ソ対立で、閉鎖されたベルリンに西側が物資を届けたベルリン空輸は、このテンペルホーフで行われた。都会のど真ん中に作られた空港だから滑走路が短くて、けっこうスリリングな離着陸だったらしい。
ぱっと見るとどこが短いのか全然わからない
今、この地平線の奥の広場は芝生の公園になっていて、夏になると自前のコンロを持ってバーベキューをするドイツ人がひしめく。一回だけ行ったけど、若者ってスーパーで買ったソースの味しかしない肉ばっか焼くんだ。おとなしくソーセージを焼いてりゃ最高のバーベキューなのに、ドイツ人っていろいろそういうところが不器用だよなと思ったことがある。
ナチによって建てられたこの空港が、戦後と、現在においてもベルリンのランドマークであるのはけっこう皮肉なことだと思うけど、戦時中はほとんど軍用機しか乗り入れていなかったというこの空港、ヒトラーなんて使いたかっただろうなと思う。建てといて使えないのはちょっとなんか気の毒だよね。人間としてだけど。
今滑走路だった部分の一部には、難民キャンプのテナントとして使われている。テナントを出てすぐ見える、帝国趣味的にデカイ建物と、あほみたいに広い空を見て、そこに住む人たちは何を考えてるんだろうな、と思ったりする。
ベルリンは嫌いな街なんだけど、同時にめちゃくちゃエモーショナルで、だから誰かにとってはものすごい好きな街なんだろうな。私はベルリンに選ばれなかっただけなんだろうと思う。
ベルリンにいた時に何度か一緒に出かけたケチでどうしようもないドイツ人は、廃墟が好きだった。廃墟っていうちゃんとしたドイツ語はないらしくて、そういった場所のことを彼はDer verlassene Ortと呼んでいた。さびしい、忘れ去られた、荒涼とした場所ってわけで、なんていうか、廃墟というよりも、むしろ廃墟を好きな人が廃墟に馳せる気持ちみたいなものまで一まとめになっている言葉だなあと感じたけど、そういうことは当時の私はうまいドイツ語にできなかったな。
寂しさとか悲しさとか愛おしさとかそういうものをもっと言葉にしたかったんだけど、できなくて、ドイツ語がものすごく憎らしかった。でも考えてみたら日本語だってそんなうまくないわけで、ドイツ語でそんな自分の気持ちがすべて説明できるなんていう考えそのものが自分の言葉への過剰な期待だったんだよね。
言葉は不確実ですべてを捉えられないからこそ確実なものがあるのにね。
南千住の民はいそいそと6:52を待つ
南千住a.k.a 天国に住む民にとって、朝の日比谷線通勤ラッシュは天国to地獄のジェットコースターである。
なので、南千住の民の一部はam 6:52を待ちわび、10分くらいなら余裕で待つ。すなわち6:52の南千住始発を待つのだ。
南千住の民は、南千住から上野か、秋葉原か、はたまた、銀座が、その間の快適さを求めるために余念がない。その快適さのために、6:52の日比谷線はライフハックなのだーーーー
ということで今日も快適に6:52の日比谷線に乗ってアルバイトに向かっている。私は社会からのあぶれ者なので別に毎日電光掲示板を睨みつけながら52分を待たなくとも良い。せいぜい週一とかそんなもんだ。
6:52を待つ人々は老若男女さまざまで、生活も性格も主義も主張も異なる人々だ。でもその時だけ、だいたい6:40-6:52くらいまで、我々は南千住駅のホームで、同じ電車を、わざわざ44,46,49分の電車を見逃してまで、6:52の始発を待つ、その瞬間をシェアしている。
その瞬間だけ我々は同じ世界を同じ気持ちで生きている。
この中には多分、女性専用車両を忌まわしく感じる人も、ツイッターで日本が好きな日本人!みたいなbioを書いてる人も、はたまた打倒!安倍政権!みたいな人もいるだろう。
でもこの南千住始発を待つ12分間、6:52までの間、そんなバックグラウンドは消え失せて、ただただ人間の愛おしさだけがそこに残る。ジョン・ロンソンが言うところの、イデオロギーを超えて人間が好き、な状態になる。
南千住始発はヒューマニズムなのである。とか言ってるうちに目的地着いたわ。サーモン売ってきますね。
大きめのウサギをケツ上に所望
おはようございます、こんばんは
レポートが終わりません。学生なんですけど、レポートって終わらないんですよ。別に終わらなくても困るのは本当にJUST私だけなので、自分が困るのを目をつむれば2秒後に寝てもいいんですけど、今回は困るのが嫌なので書こうかなって思ってるんです。
学生といえど20。。。。ウン才!の院生だから、肩がこるし腰がこるし、体は順調にたまのご褒美を求める20ウン才の実態であるというのに、学生なのでお金がなく、マッサージなどにはいけません。エステもこの前シシドカフカみたいな女に強制勧誘されて泣いたけど泣く泣く脇の毛だけひっこぬいてますけど、でもそんな気持ちよくなる系エステは行けておりません。
悲しいことに心を和らげてくれるような恋人もいないし、別にこれはいいんですけど、いやよくはないんですけど、なので今欲しいものは体重がけっこうあるウサギです。ウサギをお尻の上に乗せたいです。
重めのウサギの何がいいかというと、まあ重めでなくてもウサギ全般に言える話なんですが、足がでかいじゃないですかウサギは。伝わる重みがちょうどいいんですね、分散されてギュッギュとくるので、特にお尻の上だとちょうどよく刺激されて気持ちいいんですよ。
いや何でこんなウサギに対して語るかというと、我が家では昔ウサギを飼っていたことがあって、その記憶を手繰り寄せて書いているわけです、日記を。ココっていう名前で、白くて小さくてふわふわして本当に可愛かった子ウサ時代が2秒くらいで終わって、新幹線の擬人化(?)みたいになってしまった我が家のウサギ。意味わからないくらい大きくなったあのウサギは、本当にケツ上に乗せると気持ちが良かった。あの頃はまだわたしも20。。。ウン才の前半の前半くらいだったので、ケツの凝りとか知らんガーナチョコって感じだったのですが、今思い返したらあれ絶対気持ちいいよ〜あ〜〜〜ココ生き返ってくれ。かわいかったココ。かわいくなかったけど本当にかわいかったココ。
またこんなことを言っている間にレポートは全然進まなくてしんどいんですけど、明日絶対一人で飲んで帰るって決めてるので進めないといけません。やだよ〜〜〜大杉漣さんのいない世の中でレポートなんて書いてられるかよ〜書くけど…地球のバイプレーヤーであるわたしがなんで生きてるんですかね。